昨年来、地方議会議員の不祥事が相次いで報道されています。都議会のセクハラ野次問題や兵庫県議会の「号泣県議」の話題などは、大手メディアでも連日大きく取り上げられました。中野区議会でも、共産党の議員さんがネット上で暴言を吐いてその責任を取って辞職するという出来事がありました。こうした不祥事が相次いだ結果、地方議会の定数削減、地方議員の報酬削減を求める声が強くなっているように感じます。
私も、今の中野区議会の議員定数、議員報酬が適切なのかどうかは改めて検討する必要があると考えています。しかし、それは議員定数、議員報酬削減を目指してということではありません。地方分権の流れの中、区の役割はこれまで以上に大きくなってきています。この4月で言っても、子ども子育て支援新制度が始まったり、介護保険のサービスの一部が国から区へ移管されたりしています。行政の果たす役割が大きくなっているということは、それを監視する議会の果たすべき役割もまた大きくなるということです。安易な議員報酬削減や定数削減は議会の力を削ぐことになります。日本の地方自治は議会と行政の「二元代表制」を採用していますが、実際には圧倒的に行政優位です。議会の力を削ぐことで喜ぶのは誰なのかという点も考えなくてはいけません。
一方、区議会が何をしているのかが分からなければ、「議員の数を減らせ、議員の報酬を減らせ」という声が高まるのも、また当然です。議会改革を進めるに当たっては、この溝を埋める作業が不可欠です。具体的には、区議会のあり方をゼロベースで見直す区民参加型の「(仮称)中野区議会のあり方検討会」を開催し、区議会が果たす役割とは何か、区議会に何を期待すべきかといったことろの共通認識を作る作業をしていくべきではないかと考えています。区議会に何を求めるのかによって、区議会のあるべき姿も変わってくるはずです。
例えば、「素朴な生活実感を行政に伝えること」を区議会に期待するのであれば、議員報酬を大幅に削減する一方で議員定数を増やし「ボランティア型」の議会を目指していく道もあるでしょう。しかし、私が5年間区議会議員を務めた実感からすると、これは更に行政優位の状況を作り出してしまうことになりかねず、賛成できません。所謂「役所言葉」に対抗し必要な政策の実現を求めていくには、相応の専門性も必要になります。
ある社会問題を解決するときに求められる議員の仕事とは、例えば、その問題の当事者のおかれた状況を理解し、他の制度や法律との整合性を整理し、反対論にも耳を傾け、財政面にも配慮した上でバランスを取りながらも決断を下し、その決断に対し責任を負うことです。もちろん、場合によってはその決断に対して実名で批判されることもあります。こうした仕事をボランティアでやるのことが本当に可能でしょうか。もちろん、こうした役割を果たそうとしない議員もたくさんいて、それはそれで大問題ですが、「働かない議員がいるから議員を減らす」選択肢だけでなく、「働かない議員を働かせる」方向で考える選択肢もあるのではないでしょうか。
いずれにしても、広く区民と議会が対話をしながらこうした議論を深めていく機会が必要ではないかと思います。正直、今の中野区政の状況を考えると、これを次の4年間に実現するというのは相当難しいかと思います。なので、「公約」という形ではお約束できませんが、議会基本条例制定の議論などを手掛かりにして取り組んでいきたいと思います。
この4年間では、区議会HPのリニューアル、本会議の一部のインターネット中継開始、政務活動費の全ての支出の領収書添付義務化など、区議会の見える化は少しずつ進んできました。まだまだ不十分だとは思いますが、大切なのは、区議会の中で合意形成をしながらこうしたことが実現してきているという点です。選挙になると「議員報酬削減」「議員定数削減」を訴える候補が沢山出てきますが、残念ながら殆どの候補がそれを実現する手段を持たないのが現状です。私の主張は、「議員報酬削減」「議員定数削減」のような分かりやすいものではありません。票を取ると言う意味では、こんなことは書かなくていいのかもしれません。しかし、私は、定数減・報酬減が議会改革だとされる状況に強い危機感を持っており、問題提起の意味も込めて書きました。
皆さんの考える材料としていただければ幸いです。
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